更新日:2013年2月13日

明治天皇行在所記念碑

 明治9年(1876年)と明治14年(1881年)、明治天皇が東北を巡幸した際、大河原町内で休憩を取られました。600人を超える行列には、岩倉具視、木戸孝允、大久保利通、大隈重信も加わっており、町中では休憩所の整備や道路の改修、橋梁の架け替えなどを行い、町中が歓迎ムード一色となりました。

大河原カトリック教会

 大河原町カトリック教会は、鶴岡カトリック天主堂をモデルにしたロマネスク建築です。大正4年(1915年)に建設、大河原町初の洋風建築であり、当時としては、県内でも大変珍しい建築物であったことから、近郷からの見物客が後を絶ちませんでした。

佐藤佐太郎 歌碑

佐藤佐太郎歌碑の画像 白石川河畔には、大河原が生んだアララギ派の歌人・佐藤佐太郎の「生(あ)れしより六十年か低山(ひくやま)の上に蔵王の残雪光る」の歌碑が建てられています。歌碑は町内の有志が中心となり、昭和57年に建立されました。

大河原町民俗資料収蔵室

 民俗資料収蔵室では、大河原町民が生産用具・生活用品として大切に使用してきた日常の品々を、約2万点収蔵しております。収蔵品は、「衣・食・住」「生産・生業」「信仰」「娯楽・遊戯」「人の一生」「年中行事」「戦時関係」「学校教育・教科書」などの分類ごとに整理されており、当時の生活ぶりや町の歴史を垣間見ることができます。
 なお見学の際は、事前に大河原町生涯学習課までご連絡ください。

大河原町生涯学習課(民俗資料収蔵室利用案内)

名水蟹清水

 堤字大井戸に位置し、古来よりいかなる干ばつにも枯れることがなく村人から保護されてきました。また、湧き口にはサワガニが群生し、蟹清水の名前の由来となりました。

馬取田

 源氏と奥州藤原氏が戦った文治の役(文治5年・1189年)の際、藤原氏方の総大将藤原国衡が、乗馬ごと深田にはまり、源氏方に討たれました。以来、村人はこの田を「馬取田」と呼び、国衡の菩提を弔いました。 

傾城の墓

 源頼朝の家臣、和田義盛の愛人如月の墓であると伝えられている。文治の役(文治5年・1189年)の際、義盛を追ってこの地へ来ましたが、遂に逢えず病没した如月を憐れんだ村人が建てたといわれております。 

堤村領主 鮎貝盛次の墓

 鮎貝盛次(1555年~1624年)
 鮎貝氏は、伊達藩の門閥御一家の筆頭の家柄で、盛次は、天正15年(1587)年、戦功により堤村に二百石を加増され、山形の白鷹より移住し寛永2(1625)年この地で没した。 

村井江三の墓

 村井江三(1796年〜1870年)
 号を一日庵江三と称した俳人。諸国を旅し、文人墨客と交わり修行した。特に芭蕉に心酔し、主に仙南・山形県最上地方で活躍して多くの書画、句集を残しています。 

浅草宇一郎の墓

 浅草宇一郎(1818年〜1892年)
 大河原出身の目明かし。戊辰の役(慶応4・1868年)の際、仙台藩が行った新政府軍参謀世良修蔵の捕縛に協力しました。

尾形亀之助の墓

 尾形亀之助(1900年〜1942年)
 東北学院普通部在学中から文学活動を始め、中退上京後、詩集「色ガラスの街」をはじめ多くの詩集・短編集を発表。また、反二科会の美術集団「MAVO」を結成し活動しました。