町木「梅」

咲き誇る梅の花・イメージ

 「鶯の 訪(と)ひこぬ里の 梅の花 摘みてぞ知れん 梅の操を」

 藤原実方(平安時代の歌人)

 平安時代に詠まれたこの和歌によって、大河原は後に『梅が枝荘(うめがえそう)』と呼ばれるようになり、現在に至るまで歴史ある「梅の里」として知られています。

 歌人として有名な藤原実方(ふじわらのさねかた)は、陸奥守として赴任した際に、梅花もの言わず、鶯の声はおろか、物音ひとつ聞こえない森閑とした広野に、ひとりひそかに春を告げる大河原の梅の節操に感心し、この歌を詠んだと解釈されています。

 時を経た現代においても大河原町は梅の産地であり、町の振興作物として奨励され、町花「桜」、町鳥「白鳥」と共に「町木」に指定されております。