2019年4月12日 町長コラム(広報おおがわら令和元年5月号「さくら並木」)

町花『桜』、町木『梅』、町鳥『白鳥』  ~歩んできた歴史の恵み、町のシンボル~

 白石川堤の一目千本桜も満開となり、大勢の観光客で賑わっています。今年は寒暖の差が激しいばかりか、厳しい寒の戻りや降雪にも見舞われて、開花から満開への行方にやきもきとさせられる日々が続きました。しかし県内で唯一、(公財)日本さくらの会より『さくら名所百選』に選ばれた一目千本桜は、どんな天候にも負けず見事な風情を楽しませてくれています。桜の日々見せてくれる彩の変化を見つめながら、『平成』から『令和』へと移り行く時代を考えると、桜の散り行く姿が思い浮かんで少し感傷的になりました。
 『大正』から『昭和・平成・令和』と時代が変わっても咲き続けたこの桜は、本町出身で東京に出て成功した高山開治郎氏の苗木の寄贈によるものです。間もなく百年に近づくほどの樹齢となっても、見事ふるさとの地で咲き続けています。氏の愛郷奉仕の念に、改めて感謝せずにはいられない思いです。また、永年続けられてきた柴田農林高校と大河原ライオンズクラブや、さくらの会の皆さんの保護活動を始め、毎年実施される清掃活動に参加いただく町民の皆さんのもてなしの気持ちにも心から御礼申し上げる次第です。
 そして今年は、この桜の季節が終わると、いよいよ『令和』への改元を迎えることになります。日本最古の歌集『万葉集』の梅花の歌32首の序文にある、『初春の令月にして気淑(きよ)く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫らす。』から二文字を取って命名されたとのことでした。
 奇をてらうつもりは全くありませんが、本町の町木は『梅』です。平安時代の歌人で陸奥守として当地に赴任した藤原実方(さねかた)が、『鶯の訪(と)ひこぬ里の 梅の花 摘みてぞ知れん 梅の操を』と歌に詠んだとされています。以来大河原は、『梅が枝荘(うめがえそう)』と言われるようになり、梅の名所として知られるようになりました。
 戦前の昭和7年、旧金ケ瀬村時代に食料増産で山を開墾し、助成金の代わりに梅の木を植林し、堤地区の農家約60戸が共同作業を始めたのがきっかけでした。折しも梅から桜への移り変わりの時期の改元発表で、町民の皆さんの中でも梅の話題が高まったように受け止めたところでした。
 そして、町鳥は『白鳥』ですが、町内の大高山神社には、『白鳥大明神』が奉られており、清流白石川を中心とする町のイメージによく合い、白鳥飛来の地と同時にやすらぎを私たちに運んでくれています。鳥インフルエンザ等の問題で観光に活かせる状況にないのが残念でなりません。
 本町が歩んできた歴史の恵みとして生まれた町のシンボルを、改元を機に改めて認識することができたことに感謝しています。時代と共に社会環境も変化の一途を辿ることになりますが、『易』、『不易』の見極めに努めながら町の特色を存分に活かしてまいる所存です。
                                                            2019年4月12日

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