更新日:2008年3月27日
台の山遺跡
縄文時代の早期から平安時代の集落跡。昭和47年の発掘調査では、古墳時代の竪穴住居後3件、平安時代の住居跡15件、堀立柱建物後3棟、製鉄遺構4基が確認されている。
小林遺跡
縄文時代後期の土器類の小破片が現在でも容易に確認できる。その範囲の広さ、土器類の多さから、大河原町随一の埋蔵文化財包蔵地といわれている。
打越遺跡
水田造成の際、縄文及び弥生式土器が多数出土した。遺跡西南方の丘陵は福田館跡といわれる。
嶋館古墳
長軸35mの町内唯一の前方後円墳である。4〜5世紀ごろ築造されたもので、この地方を支配していた豪族の墓とみられる。
上谷横穴墓群
上谷の石切り場を中心に南北200m、明治期には数十基を数えたほどの規模を持つ横穴墓群である。
中屋敷前遺跡
奈良〜平安期の遺跡であるが、特に昭和54(1979)年・平成3(1991)年の発掘調査により、平安中期と思われる多量の布目瓦が出土し、3棟の礎石建物跡が確認された。その形態から柴田郡衙に関係した建物と思われる。
東獄山洞秀院跡
文治の役(文治5・1189年)で戦死した藤原方の武将照井太郎高直の菩提寺であったが、度重なる火災のため廃寺となった。その位牌は現在金ヶ瀬の香林寺に引き継がれている。
小山田城跡
伊達政宗の武将小山田筑前頼定が築き、居城とした。本丸や二の丸と見られる平場、大手門、空堀などの遺構が残っている。
平(青木)城跡
築城者は、四保四郎とも青木将監ともいわれる。壇上の平場が尾根伝いに三か所あり、連郭の形態であると思われる。東、南、西の三方は急斜面、特に南面は断崖で天然の要害となっている。
大谷城跡
大谷修理亮の築城と伝えられているが、どのような人物だったか不明。築城年代は戦国時代から安土桃山時代と思われる。
文化財関係年表
時代 |
年代 |
文化財 |
近隣の出来事、ほか |
縄文 |
6000年前
5000年〜4000年前 |
台の山遺跡
小林遺跡 |
|
弥生 |
紀元1〜4世紀 |
打越遺跡 |
|
古墳 |
紀元4〜5世紀
571年 |
嶋館古墳
大高山神社創建
上谷横穴墓群 |
関連:嶋館神社 |
奈良〜
平安 |
紀元6〜11世紀 |
中屋敷前遺跡 |
多賀城を築く(724年) |
平安 |
文治年間
(1187年頃)
文治5(1189年) |
大高山神社に鉄九輪塔寄進
文治の役、馬取田で藤原国衡戦死 |
|
鎌倉 |
嘉禄2(1226年)
仁治元(1240年)
正応6(1293年)
文保2(1318年) |
光澤山明増寺創建
東嶽山洞秀院創建
大高山神社に鰐口奉納
金ヶ瀬薬師堂板碑建立 |
蔵王山大噴火(1230年) |
室町 |
天文2(1533年) |
医王山持明院創建 |
|
安土
桃山 |
天正4(1576年)
天正5(1577年) |
鶏雄(大谷)山安浄寺創建
月戴山宝泉寺創建 |
|
江戸 |
慶長10(1605年)
元和2(1616年)
寛永2(1625年)
寛永19(1642年)
慶安2(1649年)
元禄4(1691年)
元禄年間
享保5(1720年) |
吉祥山繁昌院創建
滝王山教性院創建
宝亀山最勝院創建
金ヶ瀬宿本町成立
竹嶺山香林寺創建
大高山神社新開に再建
如意輪観音堂創建
金ヶ瀬宿新町成立 |
伊達政宗仙台入城(1603年)
封内風土記完成(1772年)
安永風土記完成(1780年) |
【工事・伐採等に伴う埋蔵文化財包蔵地の確認手続きについて】
遺跡(埋蔵文化財包蔵地)のある場所で工事・伐採等を行う場合には、着工前に文化財保護法に基づく届出等が必要です。
そこで、その場所が遺跡(埋蔵文化財包蔵地)になっていないかどうかを確認するために、あらかじめ大河原町教育委員会生涯学習課にご相談、ご確認ください。
大河原町教育委員会生涯学習課(大河原町にぎわい交流施設内)
住所:大河原町字町196
TEL:0224-53-2758 FAX:0224-53-4051